先のCS放送でも実写版『忍者ハットリくん』は、第 1 話しか放映されず、 2 〜 26 話は依然未発掘のままである。極端に資料の少ない幻の藤子作品だが、幸運にも今回シンゾウ役で番組に出演されていた中條茂樹さんに貴重なお話を伺うことができた。一読すれば目からウロコが落ちる、全藤子ファン必読のインタビューだ!

 


★私が《ハットリシンゾウ》だった頃


実写版『忍者ハットリくん』( 1966 )シンゾウ役


中條茂樹さん 
CHUJYO SHIGEKI

プロフィール:1958 年 5 月 9 日生まれ  4 歳の頃から映画に出演し、大川橋蔵の『江戸っ子天狗』、内田良平の『けんかたつ』などに出演。テレビでは、 63 年頃の讀賣テレビの『長流』(ちょうりゅう)一年半セミレギュラー。 65 年大阪の梅田コマで、越路吹雪・市川染五郎【現=松本幸四郎】主演ミュージカル『王様と私」、江利チエミ・宝田明主演ミュージカル『アニーよ銃をとれ』、 66 年『忍者ハットリくん』(シンゾウ役)、大川橋蔵主演『銭形平次』、 67 、 68 年頃『海の次郎丸』『仮面の忍者 赤影』 ( 第 5 話 ) 、 72 年 岡崎友紀主演『なんたって 18 歳』ほか。

―シンゾウ役に決まった経緯をお聞かせ下さい。

もともと 4 つくらいから東映とかで子役をやっていまして、たまたまそういう話が来たんです。当時子役をやっている子はあまりいなくて一度いいなと思われるとよく使われたんですよ。当時も『ハットリくん』をやりながら、大川橋蔵さんの『銭形平次』とかも出ていました。今もそうだと思いますけど、子供の機嫌を損ねると撮影がストップしてしまいますので結構かわいがられましたね。監督はお父さんみたいな怖いイメージでしたが、カメラマンの方はどなたもとても優しかったと思います。
『ハットリくん』は子役が多いので、のびのびと遊んでいるような感覚でしたね。その楽しい雰囲気がそのまま番組にも生かされたんだと思います。当時京都の東映撮影所にあった俳優会館で行われたラッシュを見に行かなかったので、オンエアで見たものを覚えているだけなんですが、当時のことは今でも鮮明に覚えています。


―中條さんの演じていたシンゾウの役どころについてお聞かせ下さい。原作だとケン一くんの家にハットリくんと居候していますが…。

常にケン一くんの家にいるのではなくて、ハットリくんにその都度呼ばれて伊賀の里からやって来るという感じでした。
番組に出たのは 9 話の「忍術学校騒動」からで、 12 話の「観光騒動」、 19 話の「林間学校騒動」など最終回を含めて 全部で 5 回くらいだったと思います。それから 8 話の「ドリームランド騒動」では普通の子供役で、素顔で出演しました。
そうそう、番組が始まる前に 3 曲くらい『ハットリくん』の歌を聞かされて、子供番組だから子供が喜ぶのがいいだろうということでどれがいいか選ばされました。それで決まったのがあの主題歌だったと思います。

―役回りとしては原作と同じような感じだったのですか?

ハットリくんはすごく優秀な忍者なんですけど、弟の方はドジでダメですからいつもケムマキにいじめられていたんですね。木にくくりつけられつるされるとか、しばられて自転車でひっぱられるとか、いじめられっ子ですね。すべて僕の役でしたね(笑)。ケムマキはすごいいじめっ子だった訳です。
シンゾウがセットの上から落ちる場面があって、脚立から落ちて「エヘヘ」ってやるんですよ。いつも失敗っていう(笑)。

―声も中條さんが当てられていたのでしょうか?

声はすべてアフレコで、シンゾウの声は女性の声優の方がやっていました。確かジッポウの声優さんと同じ方だったような気がしますが、あまり定かではありません。一度だけでしたがその方ともお会いしましたよ。

―ハットリくんを演じられていた野村さんは双子の兄弟だったそうですね。

そうです。さらにハットリくん役は木下サーカスかどこかから来た、同じくらいの体型の子がもう一人いました。彼はバック転なんかもできて、アクションシーンなどの吹き替えを担当していました。私も撮影に入る前に三好さんという殺陣師の方が付きっきりでトランポリンで飛んだり、いろいろ練習させられました。

―では、シンゾウはご自分で立ち回りを演じられていたのですね。

実際に立ち回りをするときでも、火薬玉を地面に埋めて、だんどりをつけて、ここが最初に爆発して、二番、三番というのを覚えて飛んだりしなきゃならなかったんです。火薬は人体にはそれほど影響でない程度だったんですが、自分の体の下で爆発するとどうしても怪我することもありますから、それだけは気をつけてやっていましたね。そういうのは一発勝負でしたし。撮り直しもあまりにうまく行かないと、そ
れで行こうということもありました。


―実写版『ハットリくん』といえば、ケムマキ役の方が杉良太郎さんだというウワサがあるのですが…?

僕の感じだと、ケムマキ役の役者さんは当時 7 つか 8 つくらい上で中三か高一くらいの年の方だつたと思います。よく「懐かしのナントカ」みたいな番組でその話題がよく出てきますが、改めてお顔を見ても杉良太郎さんには結びつかないと思うんですよ。本当のところはもうご本人に聞くしかないと思うんですが。
番組中ではケムマキがずっとライバル役でしたね。番組の半分くらいは登場していたんじゃないでしょうか。ケムマキもたまたま武者修行で町に来ていたんです。いい人ばかりだと物語も盛り上がらないので、ケムマキが登場したんだと思います。子供向けの番組ですから完全な悪者にはできないし、藤子先生の漫画っぽい感じを上手く取り入れていたんでしょうね、脚本の方はよく考えて書かれていたと思います。
ケン一くんの担任の先生の名前が「花岡実太(はなおかじった)」=「鼻をかじった」なんて、ひねったネーミングですよね。脚本の井上ひさしさん(テロップは服部半蔵名義)て、当時からすごい賢い人だと思っていました。

―キャストの方は豪華な顔ぶれが揃っていましたね。

お父さん役の牟田悌三さんは『ハットリくん』の後『ケンちゃんシリーズ』に出演されて、今でもNHKの大河ドラマなどでよく見かけますよね。お母さん役の久里千春さんも女優さんでキレイな方ですしね。旦那さんは山埼さんといって初代のトッポジージョの声優をなさっていた方なんですよ。
脳屁之斎斎役の左ト全は当時から結構お年寄りでしたから、メイクしなくても大丈夫でしたね(笑)。この後「老人と子供のポルカ」っていうレコードをだされて、ヒットしていましたね。さすがに動きの早い場面は吹き替えの方がされていましたが、立ち回りなども多少はされていましたし、途中でも 3 、 4 話出られていたと思います。

―その他当時の思い出などをお聞かせください。

一番の思い出は、藤子先生に目の前で漫画を描いてもらったことですね。目の前で絵を描いてもらって感心したのは、「絵がうまいなあ」って…。当たり前ですが(笑)。描いてもらったのはオバ Q だけか、犬に追われたオバ Q だったと思います。そのときはお一人で、ずっと藤子先生は一人だと思っていました(笑)。

―お話からすると中條さんが会われたのは安孫子先生のようですね。

しばらく東京にいたのですが、京都に帰ってきた 10 年前くらいから、東映の人に会っては聞いていたんですが、誰もフィルムの行方は知らないらしくて。
私が今 42(取材当時) で、 8 つのとき、もう 34 年前ですからね。小道具もフィルムももう残っていないでしょうね。その後、繰り返し繰り返し再放送でもされていれば行方不明になることもなかったと思うんですが。『ハットリくん』の後番組だった『赤影』は、私も最初の方に素顔で出たんですが、何度も再放送されたせいか全部フィルムが残ってるんですよ。
東映も会社ですから、仕事となれば探してくれるんでしょうけど、こういうのない?って聞いているだけでは動いてくれないでしょうね。ビデオというのは、 6000 本でトントンで、 2 万本行けば大ヒットだそうですから、ファンのみなさんで東映がノイローゼになるくらい投書してくれば、もしかすると探してくれるかもしれません(笑)。『ハットリくん』をはじめ僕もこういった特撮ものなどはとても好きなので、ビデオで出れば大変嬉しいです。

―本日は貴重なお話をありがとうございました。

10.28
京都・ポピーナノックスにて

スペシャルサンクス: TAKA (禁断のハイブリットマニアック)