★追悼インタビュー
 児童漫画にささげた方倉陽二氏の軌跡


小学館編集担当者・六傑


追悼・方倉陽二氏 
KATAKURA YOUJI

ネオ・ユートピア 26 号( 1997 年 12 月発行)に掲載された方倉陽二先生の追悼インタビューです。 26 号は品切中ですが、 33 号の特集と是非合わせて読んで頂きたい記事のため、HP上に復刻しました。インタビューさせていただいた方々の役職は当時のものです。また、武田さんは『ドラえもん百科』に登場した武田記者、秋本さんは元『ゲームオン』の編集長でドラえもんズの仕掛け人の一人。

●藤本先生曰く「方倉君にまかした。」
 「おひさま」編集長 武田 仁

武田 コロコロの初期でしたね。『ドラえもん百科』を平山さんから引き継いで、担当しました。また「ドラえもん」関係のクイズ記事や、他の作家が原稿を落とした時の穴埋め記事を方倉先生にいつも泣き付いてお願いしましたね。その後は未就学児を対象にした『いたずらぶっく』のクイズなどのアイディアを最後まで出し続けていただきました。あとは『アカンベー』『クマクマずんずん』も担当しました。コロコロ時代の八年間をご一緒しました。藤本先生の映画原作に登場するメカものの内部図解はすべてといっていいほど方倉先生が作成されていました。藤本先生に相談すると「方倉くんにまかしていいよ」とおっしゃるほどでした。藤本先生は完成した図解をごらんになって「いいですね、おもしろいですね、たのしいですね、こんなになってたんですか、しりませんでした〜」とおっしゃっておりました。『ドラえもん百科』の初代担当者平山さんが、多くのドラの初期設定を考案されていたのですが、メカニカルな設定面はすべて方倉先生が考えたものです。藤本先生いわく「ぼくは絵が下手だから描ける世界が限られていてね…」とメカニックの描画は方倉先生に託されていたことが多かったんですよ。方倉先生の才能を素直に認めていたからでしょうね。

●こんな手があったのか、 やられた!

 宣伝営業部 広報・事業室 副室長
 下河原 哲夫

下河原 小学二年生の『のんきくん』の担当をしていたころ、ゲームメーカーや広告代理店の要望を組み入れて家庭の中の世界から別の壮大な世界を描いてみないか、ということで『まじかるハット』(アニメ放映は 1989/10/18 〜 '90/7/6  全 33 本)をチャレンジしてみないか、という相談をしました。メディアミックス事業の初期の例として記録的なことだと思います。季刊『いたずらぶっく』を担当もしていたころのことです。同じ迷路の描画でも方倉先生ならではウイットに我々大人の担当者でも「こんな手があったのか、やられた」と思うことがしばしばありました。方倉先生と弟の潤三さんがほとんどのお仕事を担当頂き、台割まで考えて頂いておりました。比較的早い時期にマックでの作画まで取り組まれておりました。小さい子どもの興味をつかんだアイディアを表現するという才能に関しては肩を並べられる人はいないのではないでしょうか。そういう意味で早くに亡くなられたことは残念でなりません。

●3Dドラの生みの親

 第九編集部 PC&ゲーム編集 編集長
 塚原 正廣

塚原 方倉先生が独立された直後に『ろぼっ子ビートン』の漫画化を担当していただきました。コロコロの編集も武田さんと並行して担当しておりましたが、『マイクロソフト3Dムービーメーカー用データ集・ドラえもんキャラクターキット』用に3Dのドラの笑い方、歩き方、転び方…そういう動きのラフを起こしていただきました。それをもとにプログラムも書かれたわけです。それは丁寧な仕事で、すごいいい動きをしてくれています。ドラえもんランドの設定や未来の宇宙都市の設定なども含めて、方倉先生でなければ出来なかった仕事だと思います。

秋本 動画での設定は確かに完成していたと思いますが、3D空間の中でドラえもんがどのような動きをするのか、という設定書はどこにも存在しなかったわけです。3Dの中でドラえもんがどう動くべきかという設定はここに誕生したわけです。

塚原 歩くときに体がどのように傾くのか、ポケットまでどうやって手がのびるのか、そういうところまでしっかり考えていただきました。

武田 ドラえもんの矛盾点をひとつひとつ解決していったのが方倉先生の功績でした。ペタリハンドやへんぺい足、シッポ…いつも設定に関わることをお考えになっていました。打ち合わせに行くと宇宙や物理、哲学の本をお読みになって、ドラえもんにフィードバックすることはできないものか、と考えておられました。

●まじかるハットはレアもの

 第八編集部 中・高学年企画室 副室長
 高山 邦雄

高山 小学四年生で『のんきくん』を担当していました。笹塚のマンション、この話をすると一時間位かかるのですが(一同爆笑)、に原稿を取りに行ったとき、『まじかるハット』の設定図解を書かれておりました。その世界観に惚れてしまい、四年生にも『まじかるハット』を描いていただくことに決めました。ゲーム記事の担当をしていたこともあり、『まじかるハット』ゲームソフトの内容も考えましたが、結果的には面白いソフトとしての評価は…。セガ初の 16 ビットゲームマシンメガドライブのソフトとして『まじかるハット』は結構レアものとして流通していたのではないでしょうか(一同爆笑)。

武田 だけど『ドラえもん百科』は大ヒットしたよね。ただ藤本先生の原作で売れていることが嬉し恥ずかしだったのか、ある日印税で真っ赤なポルシェを買ってしまったんですよ。免許も取り立てで、隣りに乗ったときは怖かった。高速道路ではまだ死にたくなかったんで私が運転してあげました(一同笑)。

下河原 しょっちゅうぶっつけてたよ。バッテリーも上がりっぱなし。

秋本 家族が心配してたよ。車を(一同笑)。


●とにかく動物の絵がうまい!

 第八編集部 徳山 雅記

徳山 コロコロ創刊号から、読者として方倉陽二の名を脳裏に焼き付けていました。入社後、学年誌で「生活科」の授業を漫画化してくれ、という仕事が舞い込んで、たまたま方倉先生に依頼に訪問したのが最初の出会いでした。漫画に登場した自画像の通りのヒゲをはやした姿を見たときは感激しました。小学二年生で '96 年4月号からの連載『となりの動物王国』も、方倉先生にお願いしました。難しい注文をたくさんお願いしてしまいましたが、毎回うまくまとめていただきましたね。動物の科学的な監修を行う富田京一さんも毎回感動していました、それというのも、とにかく動物の絵がうまい!まったくクレームが着かなかった。膨大な資料を毎回持ち込むんですが、きちんと必要なところを読み取ってくれていて。これをねぇ、単行本にまとめたいんですよねぇ。最後のラフの打ち合わせのところまで行ってお倒れになって…結局、クイズ仕立ての内容でたかや健二さんに描いていただきましたが…ゴキブリのテーマで依頼に行ったとき、富田さんも知らない生態を逆に僕らに延々とご教授されて…「ゴキブリは紙の糊をたべるんだよ」なんてね(一同笑)。作品への入れ込みようはすごかった。そういう意味で担当させていただいたことを感謝しています。

●研究熱心な藤子プロ直系
 第九編集部 部次長 秋本 輝夫

秋本 '73 年以来、藤本先生の担当をしていましたが、その折々で方倉先生とは同じ年齢ということもあって、触れ合ってきました。小学二年生の読者アンケートハガキに描くカットなど、研究熱心で「藤子プロの直系」という安心感も手伝って、細かい仕事をたくさんお願いしました。私が『ドラえもん百科』を担当した時期もあります。仕事の打ち合わせに夜、行くと明け方まで九割型仕事とは関係ない話を続けられておりました。仕事の絵は描かないのにたくさんの落書きを描かれてましたね。

武田 それが上手いんだよね。

下河原 恐竜やアメコミ風の美女、すごいうまいんだよ!画力があるんだよ。色っぽい女の子を描くんだけど、シャイでね。お見合いの話を持っていったんだけど、さんざん待たされて結局ことわられちゃった。

徳山 最後まで独身でおられましたね。

●とにかく遊ばない方でした

秋本 藤子両先生のお弟子さんとして、子ども漫画にこだわられていましたね。藤本先生の領域に競うように、チャレンジしていました。もう一点。とにかく遊ばなかった。漫画ばっかり描いていた。ポルシェは買っただけだもの。藤子プロ・スタジオ直系の弟子としてこの児童漫画への執心はすごいものだった。 25 年間のつきあいで遊びの話は一度もないし、カット一点の依頼で、資料を一冊読んでしまうほどの勉強家だった。たとえば蜂の巣や蟻塚を一点描くのに、資料を一冊買って来て読んでから取り掛かるこだわりぶりだった。原稿は遅かったよ。一編集者として、原稿の遅れを怒りはしたけれど、「方倉先生はあそんではいないな」っていう信頼感があった。…でも身も細るような遅れ方だった。

塚原  月刊誌の校了が終わった後『のんきくん』の担当だけ居残りになっていた。電話すると「あと二時間で」。二時間後にかけると「あと三時間」。結局 48 時間またされた。

下河原 原稿用紙にラフが二枚目まで描いてある。それが〆切の三日後。一枚目はトビラ絵だから、つまり本文は何も描いてない。これがふつうのパターン。ザラ紙にアイディアがたくさん書いてあるのだが、少ない頁にどうやってまとめるのか悩んでいたようだね。編集者が音をあげて「これで行きましょう」とオチを決めてあげてね。間に合わないもんだから(一同爆笑)。

徳山 諸星大二郎先生と友だちでね。『COM』にも投稿されていたらしいね。

秋本 我々にとっても仙人のようなイメージだった。試作を誰よりも先駆けていた。

下河原 NEC 98 も一番最初の頃から持ってたよ。

武田 調べごとをしているうちに疑問に思ったことをさらに調べ始めてね。最後には最初の調べ事の目的が何だったのか忘れてしまうことも多かった。

塚原 でも博識だったね。これは方倉先生以外いないだろうねって、学習漫画『数学達人コミック』を頼んだんだ。数学の監修者が用意してくれた資料が不要なほど、数学の知識があった。そこから出てくるアイディアもすごい。観月アリス先生と加勢ダイスウくん。キャラクターは即刻決まるけど、ストーリーはいつまでたってもできない(一同笑)。科学の教科でも頼んでね、打ち合わせの席では監修の大槻義彦先生とどっちが学者かわからないほどの博識でした。科学漫画の分野でも右に出るものはいないだろうね。

下河原 「科学朝日」の特集なんてもう知っているよ、って感じだったね。

武田 ギャグと論説を理論整然と消化していたね。

徳山 『まんがスクール』もメチャクチャ高度な展開だったかも知れませんね。

―アトリエの中はどんな様子でしたか。

秋本 真ん中が本の山でね。ここのブロックは謎のエリアでね(一同爆笑)。ガラクタのなかに布団らしきものがあった。

下河原 傘がやたらあったなぁ(一同爆笑)。

塚原 けものみちをなんとか歩いていってね。編集者の使ったコップや食器が一週間位同じ位置にあってね(一同爆笑)。この雑誌のピラミッドは、抜き取ると怒られた。本棚には毒薬や毒ガスの本、哲学の本が整理されていた。 「座ってください」って言われて。どこに座っていいか判らなかった。

下河原 アシスタントが三人くらい寝てた。

秋本 仲間がバイクで駆け付けてね。あと藤本先生がピンチの時に逆に方倉先生が駆け付けてね。大長編三・四作目を担当したときスタジオ全体がパニックになってね。そうすると大体「方倉くんに」って声が掛かる。

 


―最後に先生を悼んでお言葉をいただけますか。


武田  『 Dr. スランプ』がジャンプで始まったとき、「すごいね、こんなの描きたいな」とおっしゃいたのが印象深いです。あのような作品を描く力量はあったはずだから、なにかチャンスがあれば描けたはずなんだよね。その他の作家の仕事を心から評価するんだけど、もうちょっと悔しがって自分自身の漫画作品をもっともっと描いて欲しかったな。
秋本  『いたずらぶっく』もストーリー性のあるその他の漫画作品も、方倉先生の中では「子どもたちへの」作品を出していく姿勢は、どこかで線を引く必要のないものであったのかも知れません。『いたずらぶっく』は作品として、中身のクオリティも含めてもっと評価していきたい。
下河原  典型としては迷路だね。どこが入り口で、どこが出口か。ネーム(写植)を貼れば僕たちはそれを読むのだけれど、方倉先生の描いた迷路なら、子ども達はいきなりたどりはじめてしまうんだ。ネームのなくても通用する漫画の「入り口」を提供し続けた。


秋本  児童漫画の世界に正面を向けて取り組んでいた。遊ぶことを覚えず、子供たちに正面を向けて漫画に取り組んでいた。そういう人がまた一人、いなくなってしまった。それが残念でならないです。 単行本のみならず、『いたずらぶっく』のような媒体への作品もまとめて、世に残して評価してもらえれば理想的だね。作品量もすごいし。この他にも「漫景」(漫画のジオラマ絵巻風のもの)を描かせたら一番だった。


塚原  生涯、この路線で真摯に描き続ける人だな、という確信が伝わってきたしね。

―本当に才能のある方だったのですね。

  本日は貴重なお話をいただきまことにありがとうございました。

1997
取材:ポール館・目黒広志・しらいしろう


方倉陽二プロフィール
1949 年、大分県豊後高田市生まれ。 20 才の頃、漫画雑誌「 COM 」の懸賞募集に数回入賞、 1970 年( 21 才)に藤子スタジオ入社、 1976 年( 27 才)退社してフリーとなる。

●ドラえもん百科(コロコロコミック・ S.51 〜)
 まだあらゆる原作漫画に副読本や謎本が存在しなかった時代に生み出された

 奇跡的な出版物。オールドファンは必携してました。

●ドラえもん道具カタログ(コロコロコミック・ S.51 〜)
 残念ながら単行本化されなかった一編。切り取ってファイルしたチビッ子も多いはず。
  学習誌に掲載された秘密道具を翌月にはカバー。

●アカンベ〜(コロコロコミック・ S.51 〜)
 ブロークンなコメディ路線を確立した傑作。ヒロイン・さっちゃんもカワイイぞ。

●のんきくん(学習誌・ S.51 〜)
 元祖ウルトラリラックスファミリーが巻き起こすマシンガンギャグ。

 1頁に2つエネルギッシュなズッコケシーンが必ずある。

●クマクマずんずん(コロコロコミック・ S.58 〜)
 アカンベーのあとを継いでリリース。長靴をかぶった可愛いクマさんは探偵という設定が

 ユニーク。アニメ化企画も進行していた。

●まじかるハット(学習誌・H . 元〜)
 アドベンチャーだけどやっぱりスラップスティック。TVアニメ化、ゲーム化など

 マーチャンダイジング企画と並行した。

●ドラえもんキャラクターKit( H.8 )
 マイクロソフト3Dムービーメーカーの専用データ集。

 持ってる人は方倉先生のクレジットを確認!

●となりの動物王国(小学二年生・ H. 8〜)
 身近な動物の行動を科学的な視点で解説していく教育漫画。

 Dr. トミーのキャラ設定はのんきくんにも通用しそう。遺作となる。

●らくらくパソコン用語絵典(H . 8)
差がつく!インターネット用語攻略(H . 9)

 パソコンなどメカニックをこよなく愛した方倉先生。絵でモノを伝える天才でもあった。