ザ・ドラえもんズの仕掛け人


現・小学館・第 8 編集部小学一年生編集長


黒川和彦氏 
KUROKAWA KAZUHIKO

プロフィール:1952年・大阪生まれ 91〜95年までコロコロ編集長をご担当、それ以前のまんが路線に対して、ホビー路線を打ち出し現在のコロコロ繁栄の基礎を築かれた。

■最初はゲーム誌から

― 『ザ★ドラえもんズ』誕生の経緯をお教えいただけますか?

まず当時小学館のゲーム誌「ゲームオン!」の秋本(輝夫編集長)の方で、3DO用のドラえもんのゲームを、世界観や設定をシナリオライターの寺田憲史さんにお願いして作るという企画があったんです。と同時に私の方でもドラえもん版スーパー戦隊みたいなものをやりたいなあって考えてたんですよ。本編とは関係ないところで遊びでね。そんなときに、秋本の方から相談を受けて。ゲーム企画の方でもドラえもんを複数出そうという企画があったそうですが、普通のドラえもんのゲームは、すでにエポック社が出していたので、何か違うものをということで、じゃあ一緒にやりましょうということになったのが発端です。
とりあえずキャラを作ってみようということで、田中道明さんにまず絵を起こしてもらい、そこからイメージしていきました。

― キャラクターのモチーフは?

モチーフは国です。アメリカ、ブラジルってね。オオカミのドラニコフはロシア、コサックのイメージです。みんな列伝やったときにそれぞれ単独でドラマが作れるような特徴を持たせようというねらいがありました。
この中国風、アメリカ風といったのは寺田さんのコンセプトの中にあって、これ以外にも一杯ありました。そのキャラの名前や性格づけはドラえもんの担当編集者みんなで集まってわいわいやりながら、作った記憶がありますね。最終的に私と秋本で藤子プロに行って、F先生にはゲーム企画としてこんなの考えてますと、色付きの絵をお見せして、チェックをお願いしたのですが、先生は「ここまでしっかりやってあるんだったら、僕のすることはもうないですね」と非常に含みのある言葉をおっしゃられましたね(一同爆笑)。もう僕の世界とは関係ありませんということなのか(笑)、企画自体は OK がでました。


■その後の展開について

それから漫画の方を始めた訳ですが、コロコロが田中道明さん、学年誌の方は上の学年が三谷幸広さんで下の学年が田中道明さんですね。実は私がコロコロから小二に異動して、担当権限で作品をもっていっちゃったんです。明快でしょ(笑)。

― 三谷幸広先生版は、のび太とドラえもんが出てくるんですよね。

そういうのは私の中では禁じ手だったんだけどね。当初は、のび太とドラは出さないという方針を立てていました。のび太とドラは F 先生が生み出されたものなので、別な人が描くと性格などがどうしても変わってしまうと思ったからです。だから、最初はサッカー少年ノビーニョとかのび太にあたる代わりのキャラクターがついていて、それぞれ列伝もやれるようになっていました。いまの学年誌版は、編集長が変わったせいか、のび太とドラが出ているようですけどね(編注・高学年版のこと)。


― 映画をシリーズでやっていこうと思われたのはいつごろですか?

映画『2112 ドラえもん誕生』(1995)のときはドラえもんズはチョイ役なんだよね。次の年の併映を決める会議で、いっそドラえもんズはどうかという意見が出たんでしょうね。けっこう下の子に受けるというので、映画会社としてもシンエイさんとしてもやって欲しいということだったらしいです。
『2112』当時、小一で募集して、少二で発表したんですが、読者にもドラえもんズのキャラクターを考えて!という企画があって、選考もF先生がされて、これは万単位の応募があってすごい反響でした。

― 『ザ★ドラえもんズ』のテレビシリーズの話はなかったんですか。

どうだったかなあ。あんまりドラえもんズが立ちすぎると、本家ドラえもんとの関係が難しいんですよね。コミック版の「ゲームコミック」という言い方も本家への遠慮の意味があるんです。

■露出させていないと

― 『ザ★ドラえもんズ』の連載が始まったのは丁度 F 先生の休載と入れ替わりでしたよね。

F先生の休載も長く、雑誌では未収録の再録をやっていたんですが、そういうのもやりつくしたときに、ドラえもんのページが無くなってしまうのはマズイなと、編集部として活性化のために我々ができるという企画はないだろうかという一つの案としての、ドラえもんズでもありましたね。
ドラえもんズ以外でもいろいろやっています。今の子はアニメしか見ていないから、小学一年生から入ってきて、ドラネット、ドラゼミとか、学習ものばかりにドラが登場していると、へたをすると子供に嫌われてしまいますからね(笑)。本当に面白いのはまんがなんだよって、結構小学一年生で旧作を再録しているんです。今年の4月にもやりました。
また現在(取材当時)、小一には2000年の10月号から『五体不満足』の乙武洋匡さんがひみつ道具をテーマにした詩を書き、萩原さんが見開きのカラーイラストを描くという連載をやっています。もともと秘密道具を題材にした詩の連載をやろうという企画だったのですが、以前出た超大型ドラ単行本が福祉関係の賞をもらって、授賞の会場にみえていた乙武さんもドラの大ファンということで、萩原さんとお引き合わせして始めました。
数年前に編集長を担当したときから小一を12冊全部揃えると背にドラえもんの絵が出るようにもしました。
「 ドラえ本」もそうですが、何らかの形でドラえもんに触れてもらって、そこから本編の単行本に繋がってくれるといいなと思っています。

― 話はちょっとそれますが、最近のドラえもんの学習まんがもとても面白いですね。

先生はそういうこと一切ノーと言われなかった方です。ある意味自分の作品ではないという割り切りがあったのかもしれませんが、一切中身には口出ししなかった。その代わりアシスタントのチーフをやった人、最低限こんなことをドラえもんはしないというの知っている人、そういう人に描いて貰う、そこがルールでしたね。

― お忙しいところ貴重なお話ありがとうございました。

2001.8.29

小学館にて

取材:蝶野・加藤