★楽しい未来を描きたかった
「ドラミちゃんミニドラSOS !!!」監督
森脇真琴監督
森脇真琴
プロフィール:北海道生まれ。シンエイ動画入社後、「一休さん」の映像助手となり、1989年頃から新栄版「ドラえもん」の演出を担当。演劇担当。 『怪物くん魔剣』 『ドラえもんのび太の海底魔岩城』のバージョン。 『ドラえもん』を監督しながら、1983年頃にアニマルヤに転勤、 『高校!きめんぐみ』 『やわら!』に転籍、 『おるちゅばんえびちゅ』(’99)など多くの作品を監督。 TVスペシャル「のび太の海中ハイキング」(絵コンテと演出)、「猿日」(複数制作担当)。現在(取材時)、TV東京ネットワーク「Dr.凛に聞いて! 』制作に参加。
■しねいバージョンドラえもん
―シンエイ動画に参加するまでの経緯を教えてください。
札幌の大学に通っていたのですが、一年休み、東京に遊びに来ました。アニメの「A」の文字すら知らなかったのですが、近所にいたシンエイ動画が入社者を探していました。最初はビデオでした。水島新司をベースにした「一休さん」をやっていた時、助監督(演技助)になりました。ビデオからパフォーマンスまで1年もかからなかったと思います。しばらくして「ドラえもん」が始まり、絵コンテや演出を始めました。
-「ドラえもん」監督の頭文字は福冨宏さん、オリジナルの平亮さん、森脇さんがメインだったそうです。
最初は監督がいたと思いますが、福富さんだったと思います。福富さんは途中から「怪物くん」に引っ越してきたので、ともさんと平さんが演出してくれると思います。
-「ドラえもん」のイニシャルがモリワキさんを演出してきましたが多いです。
監督担当者=当時の絵コンテ担当者と考えても大丈夫ですか?
いいえ、ちがいます。あまり描くことができないので、他の人が描いた絵コンテを監督したと思います。 「ドラえもん」で絵コンテを描いたのは「のび太の乙女さん」だったのかしら。印象的な作品がいくつかありますが、全部覚えているわけではありません。当初はワイルドな味わいでキャラクターが崩れていましたが、うまくいきました。
-先生からのF注文?
当時、20歳くらいの頃、不二子教授とは年齢が違うせいか、現代風ではないと思うことがありました。絵コンテにオリジナルとは違うクマを描きました。後で少し怒っていると聞きました。今考えてみると、なんて怖いのかしら(笑)。
モリワキちなみに偶然かもしれませんが、「のび太の癖」というセリフを最初に使ったのは私だったと思います。その後、声優はそれをアドリブとして使用しました。 「ミニドラSOS !!!」には「こっそり木なのに」というパロディーもあります。中学・高校生の時、姉と一緒に絵コンテで「○○の癖」と「まことの癖」を話していたからです。だから、こっそり初めてだと思っているのですが、わかりませんか?
– それは面白い。今はわかりませんが、後で調べます。
■すべての百科事典を驚かせた
それをやった。それをやった。確かに、好きだったのは、映画コメンテーターの水野晴郎さんが「いや、ドラえもんは本当にいい」と言ったパロディーでした。パート2もやろうかと聞かれましたが、その時は特別番組「のび太の海中ハイキング」をやりたかったので、パート2で元平さんが殺され淀川長春さんのパロディーに変わりました。そうだった。するとあれが有名になりました(笑)。確かに眉が動いたのは面白かったです!!
■ミニドラSOSが描く未来の世界!!!
-打ち上げの歴史を教えてください。
当初、西新宿のFさんのオフィスで打ち合わせをしてから、シノプシスを作りました。先生が会議室に入ると立ち上がる!とても緊張しました(笑)。いろいろなアイデアを思いついたのですが、Fさんからおもしろいと言われましたね。それが私が方向を設定する方法です。ドラミは優等生だと思ったので、例えばお酒の代わりにジュースなどを飲むと性格が大きく変わると言いましたが、F教授はそうではないと言っています。終わり。確かに、このような設定をすると、キャラクターのイメージが崩れてしまいます。結局、ドラミはゴキブリが嫌いな場所に人間味を与えるシーンを入れました。海底牧場はF教授のアイデアで、本やテレビから来たと思います。
-F先生を注意深く観察しましたか?
直接会うのはこれが初めてです。その後、1回目と2回目のドラフトのシナリオを書いて、意見を聞きながら作ったと思います。
-未来の描写はとてもエキサイティングでした。