98 年の春頃から、『ドラえもん』の最終回の噂が、インターネットを中心に飛び交ったのを覚えていますか?「故障したドラえもんを、科学者に成長したのび太が修理する」というその話は、もちろん藤子F先生が遺されたエピソードではなく、一ファンが、自ら創作したパロディの最終回をホームページ上で発表したものでした。しかしチェーンメールや口コミによって本物として噂が広がってしまい、マスコミにも取り上げられ、ちょっとした社会現象に……。
時は過ぎ、 2000 年夏。全国の東宝系劇場でSFX映画『ジュブナイル』が公開され、好評を博しました。実はこの映画、当時一介の特撮マンであった山崎貴氏が、最終回の噂に感動してシナリオを起こし、映画にしてしまった作品なのです!そしてEDスタッフロールには、「For Fujiko・F・Fujio」の文字が…。
 今回はそんなウソのようなホントの話を、『ジュブナイル』で見事監督デビューを果たした山崎貴氏に伺ってきました。映画の裏話も併せてお楽しみ下さい。

 


映画 《ジュブナイル》 と 『ドラえもん』


映画『ジュブナイル』監督


山崎 貴監督 
TAKASHI YAMAZAKI

プロフィール:1964 年長野県松本市生まれ。『スター・ウォーズ』を見て、特撮マンを志す。阿佐ヶ谷美術学校卒業後、 CG プロダクション白組に入社。『大病人』『マルサの女 2 』(伊丹十三監督)『スウィート・ホーム』(黒沢清監督)『エコエコアザラク 1 ・ 2 』(佐藤嗣麻子監督)に SFX スーパーバイザーとして参加。本作が監督デビュー作。現在、次回作を準備中。

ネオユー、カントクニ、アッタ!

 

― 早速ですが、最終回エピソードの映画化と、藤子先生に捧ぐというクレジットが入った経緯について教えていただけますか?

『ジュブナイル』は一番最初に、『ドラえもん』の最終回の話を、人から聞いたことがきっかけなんです。そこから話を転がし始めているので、影響を受けてるんじゃなくて、原作と言ってもいいんです。インスパイアド・フロムみたいな感じなんです。あの話を聞いて、それは映画にできると思って作者の方に連絡をとって。
だから、最初はシナリオにもインターネットの最終回が原作ですと書いてあったんですが、他人のキャラクターであるドラえもんを使った作品を原作にしたと明示しちゃうといろいろ著作権的に問題があるらしくて。作者の方も『ドラえもん』があっての話だから、あんまり原案みたいな形で出してもらうのもちょっと違うと言ってくださって。
結局インターネットのドラえもん最終回が原作ですというのは出せなくて、スペシャルサンクスに作者の方の名前を入れさせてもらいました。
もちろんその話も『ドラえもん』あってのことなので、プロデューサーと相談して「藤子先生に捧ぐ」と入れさせてくださいと藤子プロにお願いしたら、それは是非と言ってくださったので、あのクレジットを入れることができたという次第です。

最初はインターネットで見たんじゃなくて友達から聞いたんです。外へご飯を食べに行った時、満員で入れなかったんですよ。いま思うと満員で良かったと思うんですけど。待ってる時に、「いい話きいちゃったんだよ」って、あの話を聞かせてもらって、とても感動したんです。
そのときは、いても立ってもいられなくなって、これはヘタすると本家で使うんじゃないかって。いま考えるとありえないんですけど。そうじゃなくても、そんなに広まっていたら、目利きのいいやつが映画にしちゃうんじゃないかって心配になって。その日はすぐ帰って、インターネットであちこちのドラえもん系 BBS で「ドラえもんの最終回って知りませんか」って聞いたんですが、「子供の夢を壊すのがそんなに嬉しいのか」って結構罵声を浴びて(笑)。でもなんとか教えてくれる人がいて、ホームページに辿りつくことができました。
それをもとに趣味で脚本を書いたのが 98 年の夏です。で、こりゃいいぞってすっかり満足して、誰に見せることなくコンピューターに入れておいたんです。作者の方ともコンタクトは冬までしなかったのかな。

もともとは『鵺』という別の超大作の企画をやっていたんですけど、ちょうどそれが停滞しちゃったんです。企画を続けると、特にずっとやっている CG のチームが新しい技術を開発しても発表できないんですよ。人に見せるものを作りたいという気持ちが彼らにどんどん高まってきちゃって、かといって CM をやるとか、この企画を放り投げるというわけにも行かなくて、ストレスが溜まっている状態だったんです。そんなときインターネットの最終回の話を思い出して、あれなら低予算でできると。

― あの映画は低予算なんですか?

いいえ、最初は 1 億 5 千万くらいで作るつもりだったんですよ。 SFX の入る映画としてはまあまあの値段で。日常が舞台であれば、そんなすごいセットを作らなくてもいいし。また戦略としては日本は子供市場が強いので、狙えると。そして何より自分の好きな話であると。これはすごい大事だと思うんですけど、商業ベースと自分の好きなことがすごい折り合いがつく企画になりそうだったんですよ。
で、息抜きにこれ安くできるから、やりませんかって提案したんです。そしたら、みんなもちょうどそう思ってたんでしょうね。製作会社の人たちも、『鵺』はちっとも進まないし、金ばっかりかかってと思っていたらしくて、こりゃいいやって、わりとやる気になってくれたんですよ。それで『踊る大捜査線』のプロデューサーに見せたら、ヒートアップしてですね、こういうのは金かけなきゃだめだって言ってくださって、それで『鵺』に出資しようかと言っていたスポンサーに見せてくれたんですよ。あと下北の町をガンゲリオンが飛ぶテスト映像をもっていったら、瞬く間にお金が集まって。これはすごかったですよ。本当に瞬時に、 1 ヶ月かからないでもうスキームが組まれていましたね。このクラスの作品ではすごい早さらしいです。これで 99 年の 1 月ですね。で、実際に作ることが決まって、インターネットの最終回の作者の方にプロデューサーからコンタクトしてもらったんです。

最初は警戒されました

 

― 自分で考えてネットに載せた話が映画化されるなんて、すごいですね。

作者の方もそうとう面白がっくれましたね。感動してくれました。自分の話がコアになって映画になる。思いもしなかったでしょうね、まあ、そうですよね。
彼自身は物語とは無縁の人で、太陽電池の研究をされていて、逆にそこから耳が予備電池という話を思いついたそうです。
最初はだいぶビビッていたみたいです。思いがけずチェーンメールとかになってしまって、「勝手に最終回とか書くな」って攻撃を受けたりしていたみたいで、非常にナーバスになられていて。そこにまたわけのわからないのがやってきて、映画にしたいなんて(笑)、一体どうなっちゃうんだって(笑)。
あと法律的な問題とかも気にされていて、映画化することで、何か問題が生じるんじゃないかって。
ちょうどそのとき偶然別方面から、小学館もスポンサーになるって決まったんで、安心してくださったという感じです。

香取くんってあの香取慎吾さん?

そのあと香取慎吾くんが登場するんです。すこし大作になってきたんで(笑)、看板スターが必要だからと、香取くんはどうかな?っていわれて(笑)。香取くんってあの香取くんですかって。監督することは決まっていたんですけど、そのときは私はまだただの特撮マンで。香取くんてあのテレビで見る香取くん?って感じで。ぜんぜん OK なんですけど本当にありなんですかって(笑)。やるって言ってるんだよって言われて(笑)。それでまた、いろいろなスキームが動いて、最初は春に上映する予定だったんですけど、そこまでいったら、夏休みにやろうということになって、えらいことになったというのがその頃ですね。

― 配役はぴったりでしたね。

そうですね。香取くんも子供らの演技を引き締めてくれたし。インテリの香取くんって見てみたかったんですよ。多分似合うんじゃないかと思って。香取くんのパブリックイメージって、やんちゃな元気のいい兄ちゃんていう感じなんで、そういうのを押さえると意外と良かったりするんですよ。当然そういうものが内側から出て来ちゃうんで、それを隠してやったり汚してやったりすると、結構いいものがでてきたりするんです。

― 山下達郎さんが主題歌というのもすごいですね。

書き下ろしですからね。主題歌を誰にするかで揉めてたら、山下さんとかどう?って言われて。昔から好きだったんで、幸せでした。
ご本人も試写の後、劇場へも足を運んだそうなので、気に入ってくれてるんではないか!と思います(笑)。
もともと『夏への扉』とか書いているじゃないですか。結構 SF のジュブナイル小説とか好きみたいですしね。こういうのをやりたかったみたいですね。

― 企画がぽんぽんと進んでいったのも、みんながこういうのをやりたかったっていうことなんでしょうね。

日本映画はホラー映画とかあまりにもそっちへ行き過ぎちゃっていて、アンチテーゼとして、こういうのをすごくやりたいという気持ちがあったみたいですね。プロデューサーチームもみんなのりのりでしたよ。ちょうど待ってたんだよという感じで。あんまり後ろ指さされる感じの映画じゃないじゃないですか。正面切ってどうどうとやりましたっていう感じの映画なんで、すごいみんな楽しかったです。

身の回り 100 メートル以内の大冒険・ Juvenile

 

― 映画は、ワクワクしたムードが漂っていて、とても良かったです。

ありがとうございます(笑)。まあ、自分らも好きで作ってたんで。昔のジュブナイル小説の感じっていうのを意識していて。
子供の頃、児童館に世界ジュブナイルシリーズみたいのが 50 冊くらいあったんですよ。田舎の町で最終学年の授業が終わるまでバスが出なくて、その間読んで DNA にそのあたりのものを刷り込まれましたね。

― タイトルは最初の企画の時点で「ジュブナイル」だったんですか?

仮題だったんですけどね。ほかに浮かばなくて、そのままになってしまいました(笑)。
ジュブナイルっていう言葉は諸刃の剣で、意味がわかったり覚えたりするといい言葉なんですよね、ちょっとおしゃれだし。
ただ、なかなか覚えづらい面もあって、ナイル川の映画なの?とか、エジプトの方の映画なの?とか言われました(笑)。
後でわかったんですが、アメリカではあまりいい言葉ではなくて、少年法とか青少年犯罪とか、ジュブナイルマーダー(殺人)とかそういうときによく使われる堅苦しい言葉、日本で言うと「青少年」とか、法律用語とかに使われる単語らしいです。

 

― 映画の中では、神崎さんが研究を説明するシーンが面白かったです。

金魚を凍らせるところですね。科学少年にはたまらないかもしれませんね。あれはアメリカ映画とかから学んだことなんですが、物事を口で説明すると何パーセントしか伝わらないんです。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だと、ミニチュアを作ってみたんだってドクが見せて、ここを車が通ったんだっていう話をするじゃないですか。『ジュラシックパーク』でも、ライドのシステムを利用して、どうやって恐竜を作るのかを説明してましたよね。だんだん三次元になっていけばいくほど、人って理解しやすいんです。だからあれは子供たちに説明してるわけではなくて観客に説明してるわけです。
藤子先生のドラえもんでも、ちゃんとこれこれこうなってという図解がでてきて、体験の中でわからせていくようになってますよね。 SF だと、僕らは知っていると思っていることでも、結構みんなは知らないわけですよ。そういうことを伝えるときに、できるだけエンターテイメントにして解説しなきゃいけないというのがあって、そういう意味ではあれはうまく行ったみたいですね。わりとわかりやすい科学 SF というのは、必ずああいうシーンがあると思うんですよね。すごい大事なことだと思います。どうやってできるのかっていう肝心なことは説明しないんですけどね(笑)。

― 敵のボイド人とのやりとりなんかも、ほとんど地に足がついているような、日常からあまりはみだしていない所に藤子作品的なテイストを感じました。

どっちかというとのん気な戦いですよね。間抜けな戦い、のんきな戦いを描きたかったんですよ。
ドラえもんを尊敬しているのは日常感覚に密着してるところです。あんなに SF している作品なのに、日常レベルで、のび太の非常に些末な悩みから話が発展していっていて、非常によくできているなと思います。子供たちってそうじゃないと体感できないんですよね。そういう意味では身の回り 100 メートル以内の大冒険って言っていたんですよ。いきなり宇宙にいくのではなくて、日常の少し遠くから、だんだん遠くにしていかないと、共感を得られないと思うんですよね。それはすごい参考になったですね。

― 高野田くんのシーンは一番笑いました。小池さん的なキャラで(笑)。スピーディーな中のちょっとしたツッコミがよかったです。

高野田くんおいしいですよね。彼は一晩しか撮影に来てないんですよ(笑)。
試写会でも受けてました。大人向けの試写会ではあんまり笑ってもらえなかったんですが、子供向けの試写で、子供が笑うと大人も笑うんです。自分の中ではかなりコメディな映画なんですけど、日本映画で S F ものということで大人の方々は笑っちゃ失礼と思ったらしいんですね。クスクス程度しか笑ってくれなくて。でも、その後の試写でみんなドカドカ笑ってくれて。間違ってなかったんだってほっとしました(笑)。



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