人間ドラマを作っていこうと―


アニメ・キテレツ大百科 メインシナリオライター


雪室俊一氏

YUKIMURO SHUN-ICHI 




プロフィール: 1941 年 1 月 11 日 神奈川県横浜市出身・ 1961年シナリオ研究所卒
テレビドラマ「近頃の若いやつ」が新人シナリオコンクールに佳作入選。 1965 年日活映画「あいつとの冒険」でデビュー。以後テレビに転じ、アニメを中心にドラマ、劇画原作などを手がける。手がけた脚本は 3000 本以上。趣味はアマチュア無線、ドライブ。日本脚本家連盟会員。



■キテレツとの出会い

―雪室さんのご出身をお聞かせいただけますか?

中学の途中まで横浜。それから川崎に引っ越し、卒業後、東芝の試験を受けて、落ちたんですが、後年東芝提供の番組(編註 サザエさんのこと)をやるとは想像しなかったです(笑)。
あの時合格していたら別の道を歩んでいたかもしれないです。体がすごく小さくて、最後の身体検査で落ちたんです。結局、町工場へ勤めながら、定時制高校に通って。その時の受験雑誌に学生小説の募集があって、応募したら町工場の日給の十日分の原稿料をもらって。

―アニメ「キテレツ大百科」(以下:「キテレツ」)に参加された経緯をお教えください

スペシャル版は、テレビ朝日のから独立して会社を作った「ドラえもん」の初代プロデューサー・菅野てつ勇さんから声をかけられました。うまくいったらシリーズ化しようという事も視野に入れて作っていました。スペシャル版ということで殆ど原作に忠実に作りました。菅野さんには気に入っていただいて、それから「TPぼん」「夢カメラ」「ポコニャン!」ぐらいまで殆ど噛んでいました。

―最初に原作を読んだご感想は?

「ドラえもん」に似ているなあと思いました。だから、脚色する時はどうやって差別化しようかと考えて、極力似ないように意識しました。藤子さん(F先生)もその辺りは意識していたのでしょうけど、第三者が見ると似ていて。差別化とはどういうことかと言うと、グッズ的なモノ(発明)にあまり力を入れないで、人間ドラマを作っていこうと。グッズは「ドラえもん」に任せてね。
あと、藤子さんからは注文はなかったです。アニメ版「キテレツ」を気に入っていただいて短い原作をよく長く作ってくれた、といつも満足して。何回か御馳走になってもらったりして、クレーム的な事は一切ありませんでした。もともとあまり言わない人だと思いま56すけど、昔の原作者は「原作を渡すというのは自分の娘を嫁にやるようなものだ。嫁ぎ先にあれこれ注文をつければ娘も不幸になる」という事をわかっていたのですね、手塚さんや石森さん、赤塚さんも。あまりうるさくは言わなかったです。でも、最近はそういう情勢ではなくて、非常にうるさい人が多い。特に原作をいじることに関して神経質になります。書いた通りにやれと。ただ、印刷媒体とテレビとはとても違うものなので、読んで面白いものと映像が動いて面白いものとは当然違うんです。そのまま写すとセリフはしつこくなるし、その辺がむずかしい。昔のようなは大らかさがなくなり、すごくシビアになりました。ライターがすごく畏縮して、結局そのまま写すんです。それなら何も言わない。自分が書いたものだから。

―後半は完全にオリジナルストーリーになりましたね

脚本は最初は4 人いたけど、だんだん減ってきて…。後半は全部おまかせで、一切打ち合わせしないで、いきなり本にしました。そうじゃないと間に合わないんです。週に一本のオリジナルを作っていくのは大変な作業です。後半の二、三年は打ち合わせは一切ありませんでした。ただ、局のイベントがあったときはそのテーマでできないかという注文はありましたけど。

■キャラクターについて

―後半の新しいキャラクターも打ち合わせなしで作ったのですか?

まったく相談無しで。一回限りのつもりだったけど、書いて良かったものもあります。特にブタゴリラの好きな女の子・妙子。僕の好きな話というのが「ハダカの思い出!さくら湯ものがたり」で。あれもかなり乱暴で、妙子はそれまで一切出ていないんですよ。あの回で銭湯が急につぶれるんです。そこにブタゴリラが例の調子で皆に強引に銭湯に入れと脅かすけど、結局銭湯は潰れちゃうんです。

―初恋物語ぽかったですね。

キテレツの中で唯一かわいいラブシーンでした。ブタゴリラは全然意識していないけど、ブタゴリラの人間的本質を一番よく分かっている女の子なんです。
少年時代、僕は川崎にいたんですが、ブタゴリラのような子供が幾らでもいたんです。横町に必ず一人は。それからブタゴリラの両親のような人もいました。「キテレツ」は一種の時代劇的な…昭和30 年代、経済的に貧しかったけど、心はみんな豊かだった時代の話なんだよ。ただそれだけだと昔の話になっちゃうから、現代を象徴するのがトンガリ。完全な現代っ子で調子良くて。トンガリの家庭っていうのがちょっと今風で。

―英一の位置付けを描くことに苦労はありましたか?

 8 年間で終りましたが、まだ終った気がしません。

主人公というのが一番難しいんです。僕はこの作品だけじゃなくて、脇役に目が行っちゃうから。主人公は変につくれないし、どうしても優等生になっちゃう。ただ、のび太よりは頭がいいし…。逆にのび太みたいなキャラの方が書きやすいのかもしれませんね。番組が長く続いたのは声優さんのチームワークが良かった。特にブタゴリラの声優さんは途中から変わったでしょ。でも、違和感もなく、すっと変わったね。

―ムードメーカー的キャラとしてブタゴリラに意識的に焦点が入り始めたのですか?

 最初はガキ大将という設定でしたが、ボキャブラリーをとちるキャラになりましたね

書いているうちに段々そうなってきて。狙っているワケではないけど。ブタゴリラの話を書いているうちに反響がまたよくなってきて。ああいうの書きやすいんです。何やってもいいみたいな。破天荒で、感情の裏表がなく、ストレートに出せる、非常にわかりやすい人間ですね。トンガリだと裏で何かやっていそうな…(笑)。

―アニメスタイルのアニメエッセイ(アニメやぶにらみ 第8回 根っこの時代I)の中で、ブタゴリラの家族はバイト時代を元にしているとありましたが。

あの頃は町工場に勤めていて、残業すると夜食をそば屋に頼みに行ったり。そば屋の夫婦がブタゴリラの両親。そば屋の息子でなく、娘だったけど、ブタゴリラみたいで。こっちも息子みたいにかわいがってもらって。この間40 年振りに行ってみたんですよ。そうしたら、町工場、僕が勤めていた頃よりずっと立派になっていて。そのそば屋もまだあって。ただ、両親はもう引退していて、2 代目がやっていて、元気のいいおじさんはいなかったです。

―ブタゴリラやトンガリは原作とアニメでは設定が違いますが、打ち合わせしてキャラクターが決まりましたか?

ブタゴリラが八百屋というのは最初の打ち合わせで決めました。八百屋にすると話が膨らむんです。例えば給食で野菜を残す子がいたら、ブタゴリラがなんで残すんだ、という芝居ができるんです。あと、今の子供は自分の親の職業に誇りを持っている子ってあまりいないじゃないですか。ブタゴリラは小学生のうちから八百屋になる、世の中で一番素晴らしい商売だ、と思っている。そういうキャラクターって新鮮だなって。

―ブタゴリラを応援したくなるような…。

乱暴だけど実は心が優しいって…。銭湯のお話もそうですが、そういう話を作る時、ブタゴリラとか子供達の力で銭湯が潰れないですむ、という甘い話は書きたくない。ただ、子供達のエネルギーというのがラストシーンで見られます。取り壊された銭湯の跡地でみんなでお風呂に入るシーン。この辺は大人のエネルギーと子供の違っているところです。
勉三さんっていますよね。これは僕の叔父がいまして、東大以外は大学じゃないという人で、6 回受験に落ちたんです。今ならそんな受けられないけど、結局駄目になったけど、勉強をおしえてくれたり。勉三さんを書く時はいつも叔父のことを頭に浮かべて書きました。

―後半では旅芸人の五月ちゃんが印象的でした。優等生だけど孤独な少女というところがすごく良かったです。五月ちゃんのモデルもいるのですか?

彼女はなぜそういう設定にしたかと言いますと、場所が動ける、あちこち転校して、キテレツ達は会いに行く時に背景を変えることができる。
五月のモデルはいません。ああいう芝居小屋は現在も川崎や横浜にあって、ドキュメンタリーで子供の役者を見て、いつか使えたらと思っていた。今の子供にとっては逆に新鮮なんです。つい大人は古臭いといっちゃうけど。

■最終回について

 

―最終回は以前から温めていたアイデアだったのでしょうか?

最終回はそれとなく考えていた部分はあったのですが、急に終るとは思わなかったので、急遽作ったんです。自分の中では消化不足でした。
僕はあと半年はやるつもりだったので。視聴者の方は、もっと終らないと思っていたから、あまりにも唐突な終わりだったと新聞にも投書が載っていて―妙子がアメリカに留学に行くのは最終回への伏線ではなく、今度はアメリカに舞台を広げられるかなと思って(笑)。結局そこまで行かなかったけど。
94 年から95 年にかけて終るという噂があったのは全然知らなかったです。あまりに突然で、実際1 本浮いちゃって放送されない話があったんです。
上野の西郷さんが盗まれて、八百八の前に持って来られちゃうという奇想天外な話です。番組が打ち切りになることは全然知らなくて、僕にしてみれば唐突な終わりでした。ただ、番組がこんなに長く続くとは思わなかったです。原作の量から大体1 年かなと、むしろ続きすぎたかもしれないです。

■ストーリーづくり

 

―「キテレツ」の脚本はどのくらい時間をかけましたか?

早い時で2 日。平均で3 日。ダメな時は一週間か十日くらい。ダメな時はやっばりうまく行かないんです。僕の場合きちんと構成を作ってから書く方なんで。構成を作って書くけど、書いているうちにころころ変わって、構成通りに話ができることは90 %くらいないです。話がとんでもない方向に行っちゃって、修正きかなくなって。前半と後半がバラバラになる事がよくありますね。

―謎めいた展開が用意されて、最後にすべてがわかるという話が印象に残っています

そうですね。謎を出しておくと見てくれるんじゃないかと、それが一番無難な作り方です。シナリオで一番大事にするのは語り口なんです。同じ話でも話し方によって聞く人が身を乗り出したり、あくびしたりするんです。語り口はすごく難しくて、シナリオ学校では絶対教えられないんです。先輩(の手法)から盗むとか。日本映画の若い人の作品は語り口が下手なものが多い。最初の何シーンかで話を畳みかけていく。そのためにはストーリーではなく、キャラクターが生きていないと。その辺は「ドラえもん」と一番違うところです。一つの話をどこから書いていくか、人の一生みたいなもので、オギャーと生まれた所から書いても面白くないので、人生の面白いところを切ってみせる。だらだらと書くより省略して書く。その辺りは「ドラえもん」は実にうまく省略している。

―書きたいアイデアがまだあったのでは?

特になかったけど、アイディアがなくなったことはないです。僕の場合は書きたいものと言うのは、あまりなくて、その時その時に考えて書きます。
つまり、この手の話は人間の数だけドラマがある。東京一千万人なら一千万の話があると思うんです。「キテレツ」は「サザエさん」の変型版だと捉えていました。一番苦労するのはグッズをどこで出すか、これが出なければと思う時もあります。
航時機、潜地球、亀甲船なども、あんまりやると見る方が食傷気味になっちゃうんです。しかも「ドラえもん」と違って30分ですから、ごまかしがきかないんです。しっかり書かなくっちゃって。話を考える一方で原作にない道具を考える事が一番苦労しました。大抵は「ドラえもん」にもあるし。

―視聴者から道具についてリクエストはありましたか?

全然期待していなかったみたいです。人間ドラマとして作っていたし。ただ、後半は視聴率が落ちたと言うけど、見ている年齢層が大人に移り、その分小さい子供が逃げていったかな…。

―他の作品も参加しながらのシナリオ作りでしたか?

この頃は「キテレツ」だけやっていたかな。当時たまたま「サザエさん」はやっていなかった。だから書けた。「キテレツ」のことだけ考えて生活できるのは幸せなことでした(笑)。あのキャラクターを頭に入れ出すと、ちょっとしたアイディアで動き出すんです。だから、書いている途中で次のアイディアが出ることもありました。僕の場合早くできればできるほどいい本になっている。それだけノッて書いているんです。ただ、時間を掛けて十日かかったものはどうしようもなくて、見切り発車します。シナリオを渡さないと現場が止まっちゃうから。自分でも不満足だけど一年に2 ,3 回はあります。どうにもならなくてエンドマークをつけて。半分位まで書いて、また全部潰してやり直したのも何回かはある。どうやっても面白くないから別の話にしちゃうのは年に1 回はあります。そういうのをとっておいていつか使おうとと思っても、ダメなものはダメで、結局捨てるんです。

―アイディアの核とは、キャラクターの心情描写ですか?

そうです。(例えば作品の中で、窮地に立った)ブタゴリラに絶対「母ちゃん」と言わせよう、というところから考えていく。ギリギリのところまで言わせないで最後に持っていく。(シナリオ完成までの過程としては)二通りあって、最初にそのアイディアが浮かんで、そこに持っていくのと、書いていくうちにそうなっちゃうのと。書いていくうちにそうなった方が自然なんです。最初から(自分の頭の中で)ネタがバレてて、それに合わせて書くと流れが不自然になっちゃう。
箱通りにできない場合は、書いていくうちにどんどん曲がっていく。しかしお話が動き出すとどうにもならないんです(修正が脚本家にも効かなくなってしまう)。そこで最初の路線に戻そうとすると逆につまらなくなっちゃう。そのキャラクターが絶対言わないようなセリフを言わせないといけなくなっちゃう。そうすると、見ている方はブタゴリラのキャラがちゃんと頭の中に入っているから違和感を覚える。

■最高級のスタッフ

 

―よく地方へ行く描写がふんだんに盛り込まれていてとても良かったですが、スタッフの皆さんと慰安旅行に行った所を書かれていたのでしょうか?

だいたいは僕が行ってる所です。先日に行ったとか、何十年前に行った所もあります。行ってない所はまず出さないようにしてます。いつものご町内だけでなく、息抜きみたいな感じで彩りを変えたいだけなんです。(慰安旅行に行く)余裕はなかったですね。スタッフはシナリオよりさらに忙しいですからねぇ…。個人的に旅行が好きなのでそのせいだと思います。

―動画を制作した〈スタジオぎゃろっぷ〉のご印象は?

やりやすい会社でした。みんなお任せで、細かい事も言わなかったです。シナリオってケチつけようと思えば読み方によってどうでもケチつけられるんです。監督は葛岡博さんと早川啓二さんがいました。葛岡さんという方は自分で絵を書く、アニメ畑とは違うような方ですけど、ドラマを大事にしてくれた。二人ともよくやってくれました。声優さんも豪華なメンバーで言う事なしでした。今、他の番組であれだけ上手い人が集まっているのはないですね。今思うと、最高級のスタッフだったんじゃないかと。つくづく総合芸術というか、いくらライターが頑張ってもね。作品で一番大事なのは入り口と出口です。入り口はシナリオ。出口は声優。この二つがちゃんとしているとだいたい大丈夫なんです。

■その他の藤子作品

 

―藤子不二雄先生の作品で他に何本か書いていらっしゃいますね

『TPぼん』『宇宙船製造法』はほとんど原作通りで。僕はいい原作はあまりいじらない主義で。いじったのは『ポコニャン』。これは主人公は女の子に変わったけど、精神はいじっていないです。これはシリーズ構成をやって、話は若いライターが書いて、自分はあまり書いてないです。ドラマ「夢カメラ」はオリジナルストーリーで、たまにアニメ以外の実写の仕事は楽しかったです。

―「ポコニャン!」の最終回は主人公のミキちゃんがアメリカに行くという話でしたね。

アメリカに行くというのは昔からの一つの常套手段なんです。多分「ハリスの旋風」もそうだったかな。でも「ポコニャン!」はあまりに多くのライターが関わり過ぎて統一性が取れていなくて苦労しました。のべ10 人くらいでした。おまけにほとんどが新人ライターで本を直すのに随分苦労して。複数のライターでやる一番悪い面が出てきて、誰も芯になるような人がいなかったんです。

―雪室さんが手を加えて?

最終的には笹川さんと僕とプロデューサーで直して。かなり完成度の低いものが多かったので、これなら自分でやった方が楽だったかなと。

―『ポコニャン!』でやってみたかったことは?

そこまでは(発想が)行かなかったですね。形にするのが精一杯で、帯番組だったので一人では書けない量でしたね。週一話ならなんとか。

―第一話と最終回のポコニャンとミキちゃんの二人の掛け合いに統一感がありましたね。

ドラマというのは対立ですから、これがないとね。キテレツ(英一)とコロ助の対立も書いていくうちにだんだんなくなってきちゃったんです。受け手が英一なのでちょっと難しくて。ついついブタゴリラに目が行っちゃうんです。

―本日はお忙しい中ありがとうございました。


2003.6.21
取材:えすけいぷ・てふてふ
協力:アニメスタイル編集部:小黒祐一郎氏


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